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伊丹十三監督 こだわりの学習映画

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北野武と伊丹十三

北野武と伊丹十三は本業以外にもマルチな活躍をしながら、映画監督として才能を発揮し名声を確立したという点で共通点がある。もっとも伊丹十三の父親は、戦前の名監督と言われる伊丹万作なので監督の才は血筋ということだろうか。

映画監督のキャリアは伊丹十三のほうが少し早いが、北野武とは十年近く監督として活躍した期間がかぶっている。北野武がバイク事故から復活し『HANA-BI』で国際的な賞を獲った1997年に、伊丹十三が謎の投身自殺でこの世を去ったのは何か因縁めいたものを感じないでもない。

まず俳優としての伊丹十三だが、若い時にハリウッドの大作映画『北京の55日』に日本人将校役で出演していて、その頃は国際的俳優を目指していたことが伺える。他に役者として印象に残るのは『家族ゲーム』の父親役と『ドレミファ娘の血が騒ぐ』の教授役だろう。神経質で気難しいが、変態性もにじませる役どころが面白い。

エロチズムの表現

1984年に最初の本現格的な映画監督作品『お葬式』で高い評価を受け、のちに『マルサの女』でヒットメーカーになるが、この頃の作品の印象は変態的なエロさである。『タンポポ』は食欲と性欲の同調表現がテーマで、男女が生卵を介し粘液を口移しで交換し合うシーンは有名である。

『お葬式』でも喪服を着たままで野外交接するシーンがあり、カットインされる丸太を使ったピストン運動のメタファーはほとんど直接的と言っていい。『マルサの女』では情事を終えた素っ裸の女性が股間にティッシュを挟んだまま隣の部屋に移動するシーンがあるが、よほどの変態でなければこんなエロチックな発想は浮かばないだろう。

伊丹監督の学習映画

伊丹監督の映画は徹底的に調べるところから脚本づくりが始まり、娯楽性の高い作品が出来上がる。ただそのこだわりが続き過ぎてどの作品も同じような業界対策ハウツーもの、いわゆる学習映画みたいになっている。ただそのパターンを外れた作品は失敗をしているし、そこが限界ではあったと言える。

あとこだわりといえば、妻の宮本信子をほとんどの作品で主役に据えているところだろう。伊丹監督はその理由を彼女が良い女優だからと言っていたようだが、失礼ながら当時は宮本信子さんがさほど魅力的な女優だとは感じられなかった。まあ今思えばその普通さが良かったのかもしれない。

たった10作品でこの世を去ったが、伊丹監督のこだわりの強さが突然の死を招いたと考えられなくもない。つくづく残念なことであったと思う。

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