ジャン = リュック・ゴダール「勝手にしやがれ」




59年製作のフランス映画『勝手にしやがれ』は、フランソワ・トリュフォーの原案をもとにクロード・シャブロルが技術協力、これまでの映画の常識や文法といったものをことごとく破壊しつつ、映画の可能性を無限に追求していくジャン = リュック・ゴダールの長編デビュー作であり、彼がその名を広めることになったヌーベル・バーグの記念碑的作品。

その即興的演出と定石を覆す斬新な編集で話題を呼び、アメリカン・ニューシネマなどにも多大な影響を与えた。主人公ミシェルを演じたジャン = ポール・ベルモンドの軽さ、凄みを共存させた独自のキャラクターと、ガールフレンドのパトリシアを演じたジーン・セバーグのペシミスティックな魅力が注目された。

原題は “ Á bout de souffle(息を切らして)”。『勝手にしやがれ』という邦題については、給会社の企画宣伝会議の席でなかなか良いアイデアが浮かばずに時間ばかりが過ぎ、ついに誰かが「もう勝手にしやがれ!」と叫んだことからつけられた、という逸話が語られている。


常習的に車を盗むミシェルはマルセイユで警官に追われ、無造作に射殺してしまう。そのままとりあえずパリに向かい、マルセイユで知り合ったアメリカ留学生のパトリシアとたまたま再会する。翌朝ふたりはベッドをともにし、ミシェルは彼女をイタリアに誘った。

しかしパトリシアは、ミシェルにつきまとわれると自由が欲しくなり衝動的に警察へ密告。その告白を聞いたミシェルは逃げようともせず、警察と無謀な撃ち合いの末、背後から発砲され路上に倒れる。最後は「俺は最低だ」と呟きタバコの煙を吐きながら、自らの手でまぶたを閉じて死んでいく。

お互いに惹かれながらも、ミシェルとパトリシアはどこか噛み合わない。刹那的な言動で生に執着しないミシェルと、ジャーナリストの夢も抱いて未来を感じようとするパトリシア。そんな二人が惹かれ合い、愛し合うのだが、本当に相手が自分を愛しているのか不確かなのだ。

パトリシアがミシェルに優しい言葉を求めるのも、彼と一緒にいるのも、男を警察に密告するのも、愛の手応えを確かめてみたいと思ったからだ。しかしミシェルの最後の言葉を聞いた警官は、タレ込んだ女に向けたものだと解釈し、パトリシアに「最低の女だってよ」と告げる。二人の愛は最後まですれ違ったままだった。

このストーリーを追う限りは、アメリカ製B級ギャング映画の域を出ない。しかしゴダールは型にはまった物語を、自分の映画論と一体化させることで既成の映画にはない作品とし、独自のスタイルをつくりあげた。手持ちカメラによる不安定な画面、映画文法を無視した編集による荒々しい編集が、主人公のニヒルでアナーキーな心情と行動に融合して、固有の魅力を発散させたたのだ。

公開当時は時間の経過を無視したジャンプカットや、手ぶれ撮影、隠し撮りや突飛なクローズアップといった映画作法の斬新さが世の中に衝撃を与えた。だがそれらが模倣され、当たり前となった現在では、その演出のクサさや陳腐化は否めない。

しかしフランス映画らしいオシャレな雰囲気や溢れる愛情表現、自由な感覚というのは、今観ても充分に粋だと感じられるヌーベルバーグの名作だろう。ベルリン国際映画祭では監督賞を受賞、83年にはリチャード・ギア主演『ブレスレス』としてハリウッドでリメイクされている。

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