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ウィリアム・フリードキン監督 死去

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テレビドキュメンタリーからの出発

『フレンチコネクション』『エクソシスト』などで知られるアメリカの映画監督ウィリアム・フリードキンさんが7日、肺炎と心不全のためロサンゼルスの自宅で亡くなったことが米メディアから伝えられた。享年87歳。

フリードキンさんは1935年生まれのイリノイ州シカゴ出身。祖父母と両親は帝政ロシア時代の弾圧により、ウクライナから逃れてきたユダヤ人移民だった。

紳士服チェーン店を営む中産階級の家庭で育ち、ハイスクール時代はバスケットボールの花形選手として活躍。しかし16歳のときに父親が死去すると、家計が苦しくなり大学進学を断念。55年に地元テレビ局のメッセンジャーボーイとして働き始めるが、程なくして番組制作を担当するようになる。

以降ドキュメンタリーを中心に多くの番組の演出を手がけ、サンフランシスコ国際映画祭で受賞するなど評価を受けた。67年にはその手腕が認められ、コロンビア映画『グッド・タイムス』(日本はビデオ発売のみ)で監督デビューを果す。

『フレンチ・コネクション』の成功

70年、オフ・ブロードウェイの舞台劇を映画化した『真夜中のパーティー』を監督。それまでハリウッドでは真正面から取り上げられることのなかった、ホモセクシャルの孤独と疎外感を描いて話題を呼んだ。

71年、政治スリラー劇をドキュメンタリータッチで描いた『 Z 』(69年、コスタ・カブラス監督)に触発され、犯罪実録『フレンチ・コネクション』を発表。ジーン・ハックマン演じるアンチ・ヒーローの刑事像をつくり上げ、迫力のカーチェイスシーンと相まって作品はヒットを記録する。

さらに本作はアカデミー賞の作品賞、監督賞、主演男優賞など主要5部門を受賞。アメリカン・ニューシネマの傑作として高い評価を受け、監督としての名声を確立した。

『エクソシスト』が大ヒット

73年には『エクソシスト』を監督。リンダ・ブレア演じる少女が悪霊に取り憑かれる様子をショッキングな演出で映し出し、チケット売り上げが2億ドル(現在の価値で13億ドル)を越える世界的大ヒット。その後のオカルト映画ブームを生み出した。

77年、フランスの傑作サスペンス映画をリメイクした『恐怖の報酬』(53年のオリジナルはアンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督)を発表。困難な撮影を執念で乗り越え、大きく揺れる吊り橋をトラックが渡るという緊迫の場面をつくりだしたが、大金と手間を費やした作品は興行的に失敗。同年公開『スターウォーズ』の影に隠れてしまった。

そのあと監督した『ブリンクス』(78年)『クルージング』(80年)『世紀の取引』(83年)は凡庸な内容に終わり、しばらくスランプの時期が続く。また心臓発作で死にかけたこともあり、苛酷な現場を避けて、80年代以降は『CSI:科学捜査班』シリーズなどテレビ作品を中心に活動する。

観客を驚かせ続けた監督

85年には犯罪サスペンス映画『L.A.大捜査線 / 狼たちの街』を監督。九百台の車を巻き込むハイウェイでの破天荒なカーアクション・シーンが観客の度肝を抜き、「驚かせ屋」フリードキン健在を見せつけた。

その後もアクの強い作風で『英雄の条件』(2000年)『BUG / バグ』(06年)『キラー・スナイパー』(11年)などの問題作・話題作を世に送り出し、17年にはヴェネツィア国際映画際で “生涯功労賞” を受賞した。

11年以降しばらく映画の現場から離れていたが、22年8月に監督復帰を発表。55年公開の法廷劇『ケイン号の叛乱』(エドワード・ドミトリク監督、ハンフリー・ボガート主演)をリメイクした『The Caine Mutiny Court-Martial』(キーファー・サザーランド主演)が遺作となる。当映画は今年のヴェネツィア国際映画際でコンペ作品として初上映される予定だ。

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