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米コメディ俳優 ポール・ルーベンスさん死去

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ピーウィー・ハーマンのキャラで人気

赤い蝶ネクタイがトレードマークの人気キャラクター、 “ピーウィー・ハーマン” で知られた米コメディアンで俳優のポール・ルーベンスさんが7月30日、癌のためロサンゼルスの病院で亡くなったことが伝えられた。享年70歳。

ルーベンスさんは1952年生まれのニューヨーク州出身。父親は自動車販売員、母親は学校教師というユダヤ人家庭で育つ。子供の頃はサーカス観賞とTV番組『アイ・ラブ・ルーシー』が大好きで、将来は人々を笑わせる仕事に就きたいと思っていたという。

その後フロリダに引っ越し、サラソタ高校時代に地元劇団の活動に参加。いくつかの舞台劇に出演する。そのあとプリマス州立大学やボストン大学へ通うが、演劇学校のオーディションを受けてカルフォルニア芸術大学に編入。ここで演劇の基礎を学ぶ。

人気コメディアンへの道

卒業後は地元のコメディクラブでスタンダップ・コメディアンとしての活動を開始。すぐにロサンゼルスを拠点とする即興コメディ集団「ザ・グラウンドリングス」に参加する。

「ザ・グラウンドリングス」在籍中の78年、即興コメディの演者として “ピーウィー・ハーマン”  (Pee-Wee Herman)のキャラクターを考案。するとピチピチのグレスーツに赤い蝶ネクタイを着け、幼児のような発声で喋る独特なキャラが大ウケ。ハーマンは一気にスターダムへ駆け上がった。

81年には舞台『ピーウィー・ハーマン・ショー』を開始。ジョン・ベルーシ主演のヒット映画『ブルース・ブラザース』(ジョン・ランディス監督)にもウェイター役として出演する。

85年、自ら脚本にも参加したコメディ映画『ピーウィーの大冒険』に主演。イタリアの名作『自転車泥棒』(ヴィトリオ・デ・シーカ監督)をパロディ化した作品は低予算ながら評判を呼び、後に第2弾も作られた。ちなみに『ピーウィーの大冒険』はティム・バートン監督の長編映画デビュー作。現在はカルトムービーとしての人気を博している。

人気者からの転落

『ピーウィーの大冒険』の成功により、86年にはアニメシリーズから派生した子供向けTV番組『ピーウィーのプレイハウス』のメインに抜擢。この番組の大ヒットでコメディアンとしての名声を確立したルーベンスは、『サタデー・ナイト・ライブ』や『セサミストリート』にもピーウィーのキャラクターでカメオ出演。人気のピークを迎えた。

そんな絶頂期にあった91年、フロリダのポルノ映画館での自慰行為を咎められて、公然わいせつ罪容疑により逮捕。このときは社会奉仕を条件に無罪放免となったが、ディズニーの仕事はキャンセル。 “トイザらス” に置かれていたキャラクター商品は撤去の憂き目をみるなど、イメージは大きく損なわれてしまった。

92年にはティム・バートン監督『バットマン・リターンズ』に “ペンギン” の父親役で出演。93年には同監督のアニメーション映画『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』で声の出演を果す。

これが立ち直りのきっかけとなるかと思えたが、91年のスキャンダルに加え、長年 “ピーウィー・ハーマン” のキャラを演じたことによる「燃え尽き症候群」に陥っていたルーベンスは、この頃からうつ病に悩まされるようになる。

しばらく脇役による映画出演を続けていたが、2002年には児童ポルノ写真とフィルムの所持で2度目の逮捕。有罪を認めることで重い刑を逃れるも、未成年者への接触を制限されるなど、かつての人気者としての名声は地に堕ちてしまう。

晩年の活動

このあとフロリダに戻り、末期癌による闘病生活を送っていた父親の面倒を観るが、その父が亡くなった04年に芸能界復帰。テレビや映画で小さな役を演じた。09年には『ピーウィー・ハーマン・ショー』の再開を発表し、かつてのキャラクターを復活させる。

15年には自ら制作・脚本を務めたNetflix配信作品、『ピーウィーのビッグホリデー』に主演。作品は好評を博し、キャラクター人気の根強さを見せた。

晩年は癌と診断されながらも、それを公にせずに6年間活動。死後「私はいつも友人、ファン、サポーターから大きな愛と尊敬を受けてきました。私もあなたたちを愛し、あなたのために作品を創ることを楽しんでいました」との声明が発表されている。

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