2018-11

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日本映画

「浮草」と宮川一夫

小津安二郎監督と組んだ唯一の作品が1959年公開の『浮草』。小津がたまたま大映で映画を撮ることになり、この顔合わせが実現することになった。主演は京マチコと中村鴈治郎で、当時26歳の若尾文子が息子役の川口浩を誘惑する女性を艶やかに演じている。
日本映画

溝口健二「雨月物語・山椒太夫・近松物語」

『羅生門』のベネチア映画祭グランプリ獲得で、大映社長の永田雅一は外国映画賞の影響力の強さを悟る。そこで既に巨匠としての名声を持っていた溝口に、賞狙いで撮らせた作品が1953年『雨月物語』だ。この作品でカメラマンをしているのが宮川一夫である。
日本映画

黒澤明「羅生門」

BSプレミアムで『三大巨匠 奇跡の名画~4Kでよみがえる黒澤 溝口 小津』という特集番組が放送。取り上げられていたのは黒澤明『羅生門』『乱』、溝口健二『雨月物語』『山椒大夫』『近松物語』、小津安二郎『浮草』の6作品と名カメラマンの宮川一夫。
映画の人

ベルナルド・ベルトルッチ監督死去

『ラストタンゴ・イン・パリ』『1900年』『ラストエンペラー』などで知られた、イタリア映画界の巨匠ベルナルド・ベルトルッチ監督が26日ローマの自宅で死去、享年77歳だった。ベルトルッチ監督は1941年3月16日、イタリアのパルムに生まれ・・
サッカーの話題

サッカー日本代表史 11. 決戦、ジョホールバル

日本はW杯予選のグループ最終戦でカザフスタンに圧勝。B組の2位となり、ジョホールバルでのアジア第三代表決定戦に臨んだ。対戦相手は強力攻撃陣を誇るイラン。両チーム死力を尽くした激戦は延長に突入、そこへ野人・岡野がついにVゴールで決着をつける。
サッカーの話題

サッカー日本代表史 10. 苦闘の最終予選

日本は正念場の韓国戦で逆転負け。中央アジアでの戦いでも流れを変えられず、ついに加茂監督は電撃解任となった。急遽臨時指揮官に就任した岡田武史はチームの修正を図るが、なおも日本代表の苦闘は続く。だが敵地の韓国戦で起死回生の勝利、日本にW杯への道が拓かれた。
サッカーの話題

サッカー日本代表史 9. 広がる不安

ファルカンの後任として、加茂周が代表監督に就任。「ゾーンプレス」の新戦術を掲げて代表の強化に取り組むが、アジアカップで無策を露呈するなどその手腕が疑われた。そして中田英寿らの新戦力を加えた日本代表はW杯最終予選に臨み、苦闘の道のりを歩むことになる。
サッカーの話題

サッカー日本代表史 8. 新世代の台頭

W杯出場を逃した日本は、ロベルト・ファルカンを新監督に招聘。だが芳しい成果を残せず、1年足らずで日本を去って行った。この頃日本には、小倉、前園、城、川口、中田英らの新世代が台頭。28年ぶりに出場したアトランタ五輪では「マイアミの奇跡」を演じる。
サッカーの話題

サッカー日本代表史 7. ドーハの悲劇

イラン戦の敗北で追い込まれた日本だが北朝鮮戦と韓国戦の連勝で息を吹き返し、W杯初出場を懸けた最終戦を迎える。そして運命のイラク戦、三浦知良と中山雅史のゴールで2-1とリーし、ついに日本は王手を掛ける。だがその先にはロスタイムの悲劇が待っていた。
サッカーの話題

サッカー日本代表史 6. 狂い始めた歯車

W杯アジア最終予選を控え、左SBの都並敏史が負傷。代役探しに奔走するオフトジャパンだが、攻守のキーマン・都並の穴を埋められるような選手はついに見つからなかった。そして運命の最終予選がドーハで始まるが、イラン戦で完敗した日本は追い込まれてしまう。
サッカー人

日本の守護神 川口能活引退

24年の長きに渡りプロとして活躍してきた元日本代表GKの川口能活が、所属のJ3リーグSC相模原を通して今期限りでの現役引退を発表した。ストイックな姿勢でサッカーに取り組む選手として有名で、ライバル楢崎正剛と正GK争いをしながら4回のW杯・・
サッカーの話題

サッカー日本代表史 5. オフト改革

ようやくプロ化を果たした日本サッカー。代表監督に就任したハンス・オフトは、W杯初出場を目指してチームの改革に着手する。そしてラモス瑠偉の反発などを乗り越え、オフトジャパンは成長。そして92年のアジアカップ・広島大会では、初優勝の快挙を達成する。
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