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春日太一著「鬼才 五社英雄の生涯」

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五社英雄と『龍院花子の生涯』

五社英雄と言えば、フジテレビ時代に作った人気ドラマ『三匹の侍』やリアルで豪快な殺陣で知られる映画『人斬り』などの時代劇もあるが、なんと言ってもその名を世に知らしめたのが、82年の『龍院花子の生涯』だ。

当時テレビで予告編CMが流れると、喪服姿の夏目雅子が「なめたらいかんぜよ!」と土佐弁で啖呵を切るシーンが話題となった。

侠客一家を描いた映画だが、重厚な映像と父娘の情念を描く物語が女性客を引きつけ大ヒットする。ちなみに「なめたら~」の言葉は脚本にはなく、撮影当日に急遽加えたセリフである。

ハッタリをかましながら映画を作ってきた五社英雄の生涯も面白いが、まずこの『鬼龍院花子の生涯』の制作話が面白い。この映画は再起を目指す監督と、自らの宿命を感じた女優や運命的に出会ったスタッフが集まって出来た奇跡の傑作である。この『五社英雄の生涯』ではその辺りが詳しく述べられていて興味深く読める。

夏目雅子の覚悟

それまで時代劇での派手な演出で知られていた五社監督だが、銃刀法違反で逮捕され仕事を失い、家庭も崩壊して失意のどん底にあった。そんな五社を復活させようと東映の関係者が持ち込んできたのが、『鬼龍院花子の生涯』の映画化である。

当初ヒロイン松恵役には大竹しのぶが予定されていたが、五社監督の女優扱いの悪さを聞いていた大竹は懸命の説得にもかかわらず出演を断る。

本命の大竹に断られたことで企画は頓挫しかけるが、話を聞いて名乗りを上げたのが夏目雅子であった。夏目は当時24歳のモデル出身の女優で、人気はあったが代表作と呼べるものはテレビドラマ『西遊記』の三蔵法師役ぐらいなものだった。

夏目は自ら五社に電話をかけると、10分後には五社宅に姿を現す。そして彼女を追い返そうとする五社を前に、玄関の土間へ『鬼龍院』の台本を置くとその上に正座し、両手を突いて訴えた。「このホンに、のりました」

五社は夏目の気っぷの良さを気に入り、ヒロイン役に決める。だが既に彼女の身体は病魔に冒されており、撮影開始後すぐに入院という事態に追い込まれた。五社はヒロインの交替はせず、夏目の復帰を待つ。

そして手術を終えた夏目は渾身の演技を見せ、世の中に認められる女優となった。それから僅か2年後、彼女は27歳の若さでこの世を去ったが、伝説的女優として人々の記憶に残ることになる。

脚本の高田宏治と撮影の森田富士郎

宮尾登美子の原作を脚本にしたのは高田宏治だが、高田と初めて仕事をする五社は尊大な態度で接してきた。だが高田は動じず、原作を映画として効果的に生かす脚色のアイデアを提案した。そのアイデアを聞いて五社の態度は一変する。「兄弟!」高田を認めた五社はたちまち彼と仲良くなり、この後も何度もコンビを組むことになる。

これまでの東映娯楽作と違った格調の高さを望んだ五社は『鬼龍院』の撮影を任せるカメラマン探しに苦労する。その時偶然、撮影所のある京都ですれ違ったのが、以前『人斬り』で組んだ大映のカメラマン森田富士郎である。

『人斬り』後独立し、引く手あまたとなっていた森田だが、五社と再会した時たまたま手が空いていた。その話を聞いた五社がオファーを出すと、森田が快諾しカメラマンが決定した。

荒々しい演出一辺倒で“格調ある重厚なトーン”の画作りが分かっていなかった五社は、撮影プランを森田に一任し自分は役者への演技指導に専念する。

そして『鬼龍院』が成功すると、以後全ての五社作品で二人は組み続け、抜群のコンビネーションを見せることになる。つまり『鬼龍院』以降の重厚な映像は五社英雄調と言うより、森田富士郎調と言った方が正しいのである。

ケレン味重視の演出

五社の演出はケレン味を重視し、物語の整合性には拘らなかった。そのため見せ場のシーンは長くてもしっかり使ったが、説明的なシーンは編集でどんどん落としていった。そのため割を食った俳優たちもいた。この映画で佳那晃子が演じた嫌われ者の妾は重要な役であったはずだが、編集でカットされ後半まったく姿を現わさなくなる。

また鬼龍院花子役を演じた新人・高杉かほりは、制作発表時は夏目雅子と並ぶヒロイン扱いだったが、映画が完成すると殆どの出演シーンが削られていた。おっぱいを丸出しにして熱演したシーンも、ごっそり切られていたのである。高杉はその後どの作品に出演することもなく、映画界から消えてしまう。

試写を見た主演の仲代達矢は、渋い顔をして五社監督に言った「これじゃあ筋が通りませんよ」。五社監督は「いいんだよ、画に力があれば観客は納得するんだ」と意に介さなかった。

『鬼龍院』の成功以来、女性を主役とした情念の物語を作り続けてきた五社だが、画のインパクトを重視するあまり安っぽい演出をしてしまうこともあった。例えば『北の蛍』の着ぐるみ丸出しの熊とか『十手舞』の新体操のリボンを使った殺陣などである。だが、映画の格調を台無しにする五社の俗っぽさも、彼の魅力のうちと言うべきだろう。

晩年、癌に冒された五社英雄は激痛と薬の影響に悩みながらも、遺作となった『女殺油地獄』の撮影に取り組んだ。そして92年8月、63歳で波乱の生涯を閉じたのである。

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