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内田吐夢監督「飢餓海峡」

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巨匠、内田吐夢の集大成

65年公開の『飢餓海峡』は、水上勉の同名小説を映画化したサスペンス人間ドラマの大作。監督は『限りなき前進』や『土』などで知られる戦前からの巨匠、内田吐夢。戦後は堂々たる風格で『血槍富士』『大菩薩峠』『宮本武蔵』といった大型時代劇を撮り続けていた。

内田監督はこの映画の製作にあたり、通常使う35ミリフィルムではなく、あえて15ミリフィルムで撮影したものを大スクリーン用に引き伸ばして公開している(W106方式)。こういった粒子の粗い画面や特殊な映像はリアリティと説得力を観客に与え、数奇な運命に生きる殺人犯やそれを追う刑事たちの存在に厚みを与えることになった。

また推理の場面ではネガとポジを二重焼きするという実験的な映像処理も行うなど、内田監督がこの映画を自分の集大成にしようとした意気込みが伺える。

最初この大作は3時間12分の作品として完成していたが、東映側は監督に断りもなくフィルムにハサミを入れて、167分の短縮版を上映した。この処置に対し内田監督は会社へ猛抗議を行い、後に彼が東映を退社する原因となる。(フィルム・カット事件) なお現在公開されているのは、183分の修復版である。

北国から始まる物語

物語の舞台は、終戦後まもない北国の地。北海道を襲った台風により青函連絡船が転覆、多くの犠牲者が出るが、現場処理に当たった函館警察は身元不明の2遺体を発見する。函館警察の弓坂吉太郎刑事(伴淳三郎)は、身元不明の遺体と同日に岩内市で起きた強盗放火殺人との関連を疑い、捜査に乗り出す。

そして漁師の証言で、もう一人大男の共犯者がいるという事実を掴んだ弓坂刑事。その男の行方を求め、執拗な追跡が始まる。その共犯者こと犬飼多吉(三國連太郎)は奪った金を持って青森に渡り、花街の娼婦・杉戸八重(左幸子)と情を結んでいた。

そして事件が未解決のまま十年がたったある日、京都・舞鶴の海岸で心中した八重の遺体が浮かんでいるのが発見される。その時八重が持っていた新聞記事に疑念を抱いた舞鶴署の味村時雄刑事(高倉健)は、その記事に載っていた事業家・樽見京一郎の邸宅を尋ねる。

サスペンス劇というより重厚な人間ドラマ

殺人犯を追う推理小説が原作だが、ミステリーあるいはサスペンス劇としてはストーリーがやや強引だし、飲み込みがたい箇所も少なくない。この映画の前に、黒澤明監督の傑作サスペンス『天国と地獄』(63年)がつくられているだけに、余計に粗が目につくのだ。そういえばこの両作品に出ていた藤田進は、警察署長と捜査一課長の違いはあるが似たような役だった。

まあサスペンス劇としてはともかく、北国の荒々しい海峡を背景としたスケールの大きな物語と、内田吐夢監督の風格ある画づくり、そして出演者たちの熱演で重厚な人間ドラマになっているのは間違いない。ただこの映画を傑作と感じるかどうかは、主人公の犬飼多吉にどれだけ感情移入できるかによるだろう。

俳優たちの熱演と内田吐夢監督

それでも三國連太郎の、鬼気迫る演技はやっぱり迫力満点。もちろん左幸子が演じた女の情念や虐げられる者の悲しさも、胸に迫るのもがある。喜劇役者だった伴淳三郎もこの映画でシリアスな老刑事役を演じ、新境地を開くことになった。

この映画に出演した当時33歳の高倉健は、東映に期待されながらなかなか芽が出ず、64年の『日本侠客伝』でようやく当たり役を得始めた頃。演技の達者な3人に比べると生硬さが目立つが、『飢餓海峡』のあと主演した『網走番外地』でトップスターの仲間入りを果たすことになる。

日本映画界の巨匠の一人、内田吐夢監督は放浪癖を持つ変わり種の映画人。戦前に満州へ渡り、終戦後も内線続く中国に残って、散々辛酸をなめて54年に日本へ帰国したという波瀾万丈の経歴の持ち主だ。

本名は内田常二郎というが、不良少年だった頃のニックネーム「トム」を別名として使い、袖に“TOM”と縫い付けたワイシャツを身につけるような粋人だったようだ。

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