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マイケル・チミノ監督「ディア・ハンター」

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ベトナム戦争を題材にしたヒューマンドラマ

78年公開の『ディア・ハンター』は、それまでタブーに近かったベトナム戦争を取り上げ、非人間的な戦場の苛酷さがもたらした心の荒廃と男たちの友情を、重厚な映像で描くヒューマンドラマ。

アメリカ社会の暗部もえぐったこの作品は、公開されると大きな話題を呼び、第51回アカデミー賞で作品賞、監督賞など5部門を受賞。監督・マイケル・チミノの名前を世に知らしめた。

ドラマの中心となる三人の青年に、ロバート・デ・ニーロ、クリストファー・ウォーケン、ジョン・サヴェージ。その他の出演にメリル・ストリープ、ジョン・カザールなど。ウォーケンは助演男優賞を受賞している。

「一発がすべてだ」 ディア・ハンター、マイケルの覚悟

1968年、ペンシルバニア州のロシア系移民の住む小さな町で、マイケル(デ・ニーロ)、ニック(ウォーケン)、スティーヴン(サヴェージ)の若者三人がベトナム戦線へ徴兵されることになった。

製鉄所に勤める同僚の三人は、スティーヴンの結婚式を兼ねた賑やかな壮行会をうけ、翌日には揃って鹿狩り(ディア・ハント)に出かける。獲物を見つけたマイケルは、「一発がすべてだ。ディア・ハントはワンショットなのだ」の言葉通り、見事に鹿を一発で仕留める。

ベトナムに旅立った彼らを待ち受けていたのは、地獄のような戦地の体験。北ベトナム軍の捕虜となった三人は、リボルバー拳銃によるロシアンルーレットを強要される。

戦争の残忍さと恐怖の前に、極限の精神状態に立たされる三人。マイケルの機知でどうにか反撃に成功し、濁流に身を投じての逃亡。途中味方のヘリに助けられるが、マイケルとスティーヴンはぶら下がったヘリから力尽きて川へ落下。ちりぢりになった三人の運命は別れていく。

2年後無事帰還したマイケルは故郷で英雄として迎えられるが、もはやかつてのような笑顔はなかった。久々に製鉄所の仲間達と鹿狩りを行うも、その命の崇高さにトリガーを引くことが出来ない。

スティーブンは逃亡中のケガで両脚と右腕を失い、病院で療養生活を送る日々。マイケルはそのスティーヴンから安否不明だったニックの居場所を聞き出し、陥落寸前のサイゴン(現ホーチミン)に飛ぶ。

そこでマイケル見かけたのは、うつろな表情でロシアンルーレット賭博の射手をつとめるニックの姿だった。苛酷な戦場の狂気に晒され、ニックの精神は崩壊、薬物で人間性を失っていた。そして悲劇的な最期が訪れる。

運命の悲劇と失われることのない友情

戦争の悲惨さ苛烈さに、運命をねじ曲げられる人々の悲劇と痛み。それでも失われることのなかった男たちの友情を、チミノ監督は悠然とした演出と美しい映像をもって、哀悼をこめて描き出した。

前半は40分に及ぶ結婚式のシーン。この詩情あふれた場面から、鹿狩りのシーンを経て一転画面は戦場へ。ロシアンルーレットの耐えられない緊張感に、観客は戦場の恐怖を突きつけられる。後半はマイケルが見失ったものを探し求める道行き。見事な構成と深いドラマ性で、忘れられない名画となった。

デ・ニーロとウォーケンが、苛酷な戦場に翻弄される青年を熱演。映画出演が2本目で当時まだ無名だったメリル・ストリープも、高い演技力で強い印象を残している。

一躍注目の監督となったマイケル・チミノは、80年に『天国の門』を監督。完璧主義を貫くチミノにより製作費はふくれあがり、映画は当初の予算を大幅にオーバーして完成。しかし興行的には大失敗作となり、名門ユナイテッド・アーティスツを倒産させてしまう。

これ以降チミノはハリウッドを干されてしまい、『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』(85年)など数作品を監督したものの、不遇な晩年を送ることになった。

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