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天才MF小野伸二 今季限りの引退を発表

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39年間のサッカー人生

多彩な技とアイデアを持つ天才MFとして知られた小野伸二選手(北海道コンサドーレ札幌)が、今シーズン限りの引退を44歳の誕生日となる9月27日に発表した。

小野選手は自身のSNSを通し、「サッカーと出会い39年間もの間、僕の相棒として戦ってくれた “足” がそろそろ休ませてくれと言うので、今季を最後にプロサッカー選手としての歩みを止める決断しました」とメッセージを寄せている。

昨季も引退が頭をよぎりながら古傷である左足首を手術し、最後まで現役にこだわり続けた。しかし慢性化した足首の痛みは和らぐことなく、今季の出場は天皇杯の2試合のみ。別メニューでの調整を行なっていたが、復調は見込めず今回の決断となった。引退後もコンサドーレに残り、クラブの要職に就く予定とのこと。

「黄金世代」のリーダー格

1979年生まれの静岡県沼津市出身。小学校時代から「天才選手」として知られ、清水商業(現、清水桜ヶ丘)やアンダー世代の代表で活躍。98年に鳴り物入りで浦和レッズに入団し、初年度から新人賞とベストイレブンに輝く。

日本が初出場を果たした98年フランスW杯では、高卒新人ながら代表メンバーに選出。グループリーグ最終節のジャマイカ戦で、日本代表史上最年少(18歳272日)でのW杯出場を果たす。

99年にはキャプテンとしてワールドユース選手権(現U-20W杯)に出場し、準優勝の快挙に貢献。決勝のスペイン戦は出場停止でピッチに立つことはできなかったが、「黄金世代」のリーダー格として評価を高めた。

しかし同年のシドニー五輪1次予選、フィリピン戦で悪質なタックルを受けて左膝靱帯を断裂。「それまでの感覚が完全に戻ることはなかった」というほどのダメージを負い、輝かしいはずのキャリアに暗雲が漂う。

それでも01年にはオランダの名門フェイエノールトへ移籍。ファン ペルシー、ファン フォーイドンク、ヨン=ダール・トマソンといった名だたる攻撃陣を操り、UEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)優勝に大きな役割を果たす。

足元にピタリと吸い付くトラップを代名詞とし、その正確無比な両足からのパスは「エンゼルパス」「ベルベットパス」と呼ばれ、欧州でも “天才” の名を欲しいままにした。

日韓W杯で活躍

02年には日韓W杯に出場。初戦のベルギー戦では、1点をリードされた後半59分にゴール前へ絶妙のロングパス。鈴木隆行のつま先による同点弾を導いた。日韓大会では左サイドを務め、グループリーグ突破に貢献する。

04年にはオーバーエイジ枠としてアテネ五輪に参加するも、グループリーグ敗退。ジーコジャパンでは中田英寿、中村俊輔、稲本潤一と「黄金の中盤」を組むが、レギュラーの座を掴みきれず、06年W杯ドイツ大会ではサブメンバー。出場は逆転負けしたオーストラリア戦の1試合にとどまった。そして08年のキリンカップ・ウルグアイ戦を最後に、代表から遠ざかることになった。

このあとドイツのボーフム、Jリーグの清水、オーストラリアのウェスタン・シドニーなどでプレー。14年にはコンサドーレ札幌に入団し、途中でFC琉球移籍を挟みながら、通算8シーズン半を札幌に在籍。今後は指導的立場でクラブの強化に尽力する予定だ。

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