サッカー日本代表史 7. ドーハの悲劇

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北朝鮮戦の布陣変更

イラン戦に敗れ、後がなくなった日本の3戦目の相手は北朝鮮だった。ここでオフトは第2戦とメンバーを入れ替える。北朝鮮の最大の攻め手は右サイドバック、キム・ガンミンの攻撃参加であったが、日本はこれに対処すべく、守備に不安のある三浦泰年に替えて左サイドに勝矢寿延を起用した。

勝矢は本来、センター又は右サイドで硬い守備を誇る選手だったが、スペイン合宿で左サイドも試されていた。だが守備専門で攻撃参加の望めない勝矢を起用したということは、同時に日本の生命線であった左からのサイド攻撃を犠牲にするという意味でもあった。

そこでオフトは好調な選手を最前線に据え、彼らの攻撃力に期待を寄せた。すなわち、警告2枚で出場停止となった高木琢也に替えイラン戦で得点した中山雅史を起用し、不調の福田正博を外して長谷川健太を抜擢、エース三浦知良と3トップを組ませたのである。

“ゴン”の愛称でファンからも親しまれていた中山は代表初先発で、久しぶりに代表に招集された長谷川は90年アジア大会以来の先発出場だった。

見えてきた希望

勝矢の起用は当たった。北朝鮮はキム・ガンミンの前線へのオーバーラップを勝矢に抑えられ、攻め手を失う。そして初先発中山の縦横無尽な働きはチームに活気を呼び起こし、長谷川のドリブル突破も効いて攻撃陣にリズムが生まれた。

前半28分、ペナルティエリア手前からラモスの蹴ったフリーキックが、北朝鮮選手の頭を越え中央で待つカズに届いた。カズが頭上にボールを捉え激しく頭を振ると、次の瞬間ゴールネットが揺れ日本は先制点を挙げる。

後半に入っても日本の勢いは続き、51分にカズのセンタリングから中山が追加点を決めると、両腕を振り回しながらオフトに駆け寄り抱きついた。さらに69分にはカズが強烈な駄目出し弾を放って、エースの大活躍により3-0と北朝鮮に快勝する。

この勝利で日本は3位まで浮上したが、第4戦の相手はライバル韓国だった。親善試合を除けば、日本が国際試合で久しく勝っていない予選最大の壁である。しかし韓国チームは2試合続けて試合終了直前に同点に追いつかれるなど調子は悪く、反対に日本チームのムードは上昇していた。

だからといって気を許せない相手であることは変わらず、最大の懸念は中盤の要である森保一が警告を受け韓国戦に出場出来ないことだった。

オフトは韓国戦に北澤豪を起用した。北澤はアジアカップの頃まで代表のレギュラーだったが、第1次予選前に骨折し復帰後も調子が上がらないままだった。

最終予選に備えたスペイン合宿で不調にあえいでいた北澤へ、オフトは「お前は招集した27人中27番目だ」と告げた。この言葉に闘争心を燃やした北澤は、練習で懸命なアピールを続け最終予選メンバー22人の中に選ばれたのだ。

ライバル対戦、韓国戦の劇的勝利

他のメンバーは北朝鮮戦と一緒で、出場停止の森保に代わりラモスが守備的MFを務めた。開始5分韓国のロングパスから、盧廷潤がスピードを活かしゴール前に走り込む。それをキーパー松永成立が激突しながら抑えると、このあとの韓国に勢いがなくなってきた。

ラモスのポジションが下がったことで韓国の選手がつられるように引き出されてしまい、中盤には大きなスペースが空いていた。そこを運動量豊富な北澤が掻き回し、前線で走り廻るカズと中山の対処にも追われ韓国の攻撃は機能しなくなってしまう。

前線へのパスコースを塞がれ、時たまロングボールを放り込むだけになっていた韓国に日本は度々チャンスを作るも、ゴールポストにシュートを阻まれるなどなかなか得点に至らなかった。

攻め手を失った韓国が引き分け狙いにきた後半14分、ようやく日本に絶好の機会が訪れた。ラモスのスルーパスを受けた吉田光範が相手陣営に駆け上がると、中央に走り込むカズにグラウンダーのパスを送る。

カズはそのパスをトラップし損ねるも、運良くボールは彼の足下に転がってきた。カズが走る勢いのままシュートすると、ボールは韓国キーパーの脇をすり抜けゴールに吸い込まれていった。

1-0となりオフトは逃げ切りを図る。後半20分に長谷川を下げ福田を投入、後半40分には中山に替え武田修宏が初めて最終予選で使われた。実はこれと全く同じ交替が、最終戦でも繰り返されることになる。接戦の試合で僅差を守り切る場合、ディフェンシブな交替ではなく攻撃的な選手を使うのが、就任当初からのオフトの逃げ切り方だった。

日本は終了前10分頃から押し込まれ始めていた。オフトは前線の選手に「キープ・ザ・ボール!」と声がかすれるほど叫んだが、彼らの意識には届かず武田はシュートを打ってしまう。後ろの選手はこのプレーに危うさを感じるが、終了後オフトから注意を与えられることはなかった。

日本は1-0で韓国を破り、4試合を終えた時点で僅差の首位に躍り出る。この結果に日本のメディアはW杯出場が決まったかの如く浮かれ始めるが、ラモスは「まだ勝負は終わっていない。イラク戦は厳しいものになる」とチームメイトを戒めた。

W杯の切符と浮き足立つ日本代表

93年10月28日、アメリカW杯出場を懸けたイラクとの最終戦は、ドーハのアルアリ・スタジアムで行なわれた。他の2会場も同時刻での試合開始、勝てばW杯出場が決まり、引き分けても他会場の結果次第でアメリカ行きのキップを手にすることになる。

対してイラクはほんの僅かの可能性を残すだけで、中心選手も幾人か出場停止になっており予選突破の望みは薄かった。しかし日本選手は知らなかったが独裁者フセインが恐怖支配するイラクのサッカーでは、手を抜いたプレーなど考えられなかった。

森保が戻った日本は、北朝鮮戦と一緒の布陣で臨む。試合開始直後、日本はイラクの激しい当たりにペースを乱されるが、5分に中山が右サイドを突破し走り込んできた長谷川にパスを送る。長谷川のシュートはクロスバーに阻まれたものの、跳ね返りをカズが頭で合わせ1点を奪った。日本の観客も視聴者も歓喜に湧いたが、早すぎる先制点だった。

イラク選手は諦めずに攻撃を繰り返し、浮き足立ってきた日本は試合のコントロールを失い始めた。しかし主審の日本寄りの判定に救われたこともあり、どうにかイラクの攻撃を凌いで前半を1-0のリードで終える。

ハーフタイム、日本のロッカーは騒然としていた。W杯に近づいたという興奮と試合のペースが掴めない不安が交差し、選手たちは平常心を失っていたのだ。オフトは選手を静めようと声を掛けるも収まらず、ついにホワイトボードを手で叩き付け選手たちの視線を向けさせた。「あと45分だ」それだけ伝えると、オフトは選手たちを最後の戦いへ送り込んだ。

運命の後半戦

イラクは後半も開始から波状攻撃をかけてきた。日本は次々に襲ってくる相手に圧倒され、ボールすら満足にキープ出来ないでいた。そして55分、日本ゴール前に放り込まれたボールに、アメード・ラディが素早く反応し同点弾を決められてしまう。キャプテン柱谷が競りに行くも、脚には思った以上の疲れが溜まっており届かなかった。

そのあとも日本に厳しい時間が続くが、ラモスが相手のパスをカットして一息ついた後の69分にチャンスが訪れる。勝矢が攻めてきた相手に鮮やかなインターセプトを見せると、ボールは前線のラモスまで繋がれた。ラモスが飛び出すキーパーの前に絶妙なパスを送ると、走り込んだ中山が寸前で体勢を崩しながらシュートし待望の勝ち越し点が生まれた。

いよいよ日本のW杯出場が目前のものとなったが、イラクの選手たちは諦めない。緩むことのない激しい攻撃に、日本選手の体力は限界となりつつあった。65分に長谷川が退き変わって福田が投入され、残りの交代枠はあと一つだ。日本のピッチサイドでは、北澤や武田がアップを始めていた。

プレイが中断するとラモスは日本ベンチに駆け寄り、ボトルの水を飲みながら「キタザワ、キタザワ」とオフトに訴える。ラモスだけではなく、疲れ切った選手全員が『日本のダイナモ』北澤の投入を待ち望んでいた。

しかし84分、中山に替わって投入されたのは武田だった。前掛かりになったイラクの空きスペースを、スピードのある武田に狙わせることで、相手の攻めを抑えられると考えたからだ。それに運動量豊富な北澤を投入してしまうと、彼に頼って選手の脚が止まってしまう危険性もあった。

都並も痛み止めを打ち僅かな出場の機会に備えていたが、武田の投入で彼の戦いは終わった。皮肉にも、代表で一番時間稼ぎが上手いのは都並敏史だった。

ロスタイムの悲劇

試合終了時間が近づくと、イラクはロングボールを放り込みだした。そのボールを拾った日本は、前線に選手を走らせる。右サイドでドリブルを始めた武田に、すぐ横の日本ベンチから声が掛けられた「キープ!、キープ!」

だが武田は味方選手のいないゴール正面にクロスを送る。パスを送られる形となったイラク選手はすぐに反撃に出るが、森保が上手くボールを奪い返す。試合終了はもうすぐだった。

森保はラモスにボールを渡し、ラモスは前線のカズへ浮き球のパスを送る。しかしそのパスは思ったより短くなってしまい、イラク選手に奪われてしまう。イラクはそこから追いすがる勝矢を振り切り、日本ゴール近くまで切り込んでシュートを放つが、松永が横っ飛びでボールを弾き出して失点を防いだ。

右サイドCKのチャンスを得たイラク、時計は既に後半45分を過ぎていた。ラモスは主審に駆け寄り「プリーズ。フィニッシュ、プリーズ」と訴える。だが主審は人差し指を立て、「ワンモア・プレイ」とラモスを制した。柱谷はエンドライン上に座り込む勝矢に「立て勝矢。早く準備をするんだ」と檄を飛ばす。

日本の守備陣は、コーナーから放たれるであろうセンタリングに備え準備した。だがイラクの選択はショートコーナーだった。カズがすぐにボールを持つイラク選手に詰めていった。だが守備の選手ではないカズは簡単に寄せを外されて、咄嗟に足を出すものの届かずにイラクのクロスを許す。

ボールはゴール右で待ち構えていたオムラム・サムランがジャンプしヘディングで合わせ、反対側のゴールネットへ突き刺さった。その瞬間、ディフェンスの井原正巳たちは膝から崩れ落ちてしまう。疲労困憊の中、不意を突かれた守備陣はキーパーの松永も含め誰も反応できなかった。

数十秒後に主審のホイッスルが吹かれ、2-2の引き分けで試合は終了した。ピッチの日本選手たちは、茫然自失の状態で芝の上に倒れ込む。勝矢は「他会場の結果は」と日本ベンチを見たが、オフトたちの気落ちした様子で望みが絶たれたことを悟った。

日本に与えられた試練

オフトは虚ろな表情で座り込むラモスの元に近づき、手を差し伸べた。最初こそ衝突した二人だが次第に理解を深め合い、ラモスはW杯を決めてオフトを男にすると公言するようになっていた。

日本は寸前のところでW杯出場を逃してしまった。しかしそれは、日本にまだアジアで勝ち抜く実力が無かったためとも言えるだろう。

オフトはイラクとの最終戦について尋ねられこう答えた。「イラク戦の結果でW杯出場を逃したのではない。今まであんなに試合をコントロール出来なかったことはなく、引き分けさえ奇跡だ。W杯出場を逃した原因は、イラン戦の敗北にある」

ドーハで戦ったイラクとの最終戦は決して『悲劇』ではない。日本に与えられた『試練』だったのだ。

次:サッカー日本代表史 8. 新世代の台頭

カテゴリー サッカー史

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