《 サッカー人物伝 》 マルコ・ファン バステン

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「クライフを継ぐ者」マルコ・ファン バステン (オランダ)

1982年4月3日、古巣アヤックスで選手としての最晩年期を迎えていたオランダのスーパースター、ヨハン・クライフは、NECとの試合中に交代を申し入れ、代わりに入る選手を自ら指名した。

このときクライフが指名したのは、これがトップチームデビューとなるマルコ・ファン バステン( Mrcer Van Basten )だった。ファン バステンはこの時まだ17歳。だが途中出場したこの若者は、ハットトリックを決めて鮮烈デビューを飾った。こうして彼は、たちまちクライフの後継者と目されるようになる。

しかしピッチのオールラウンダーであるクライフに対し、ファン バステンは天性の点取り屋だった。柔軟なボールタッチ、両足での正確なキック、バランスのとれた長身、スピードとスタミナ、そして得点への嗅覚。彼はストライカーとして必要なものを全て兼ね備えていたのだ。

その卓越した能力で得点を重ね、2回のバロンドールに加えてFIFA最優秀選手賞も獲得したファン バステン。選手生命は長くなかったが、オランダ史上最高のフォワードとして人々の記憶に残ることになった。

ミランのオランダトリオ

ファン バステンは1964年10月31日、オランダのユトレヒトで生まれた。81年に16歳でアヤックスと契約、そして19歳となった84年には、早くもエールディヴィジの得点王に輝いている。85年にクライフがアヤックスの監督に就任。ファンバステンとクライフは相思相愛の師弟関係となった。

4年連続で得点王となり、欧州にその名を轟かせたファン バステン。するとACミランの新オーナーとなったベルルスコーニに請われ、87年にイタリア・セリエAへ移籍する。同年にはPSVでプレーしていたルート・フリットもミランへ参加。翌年にはアヤックス時代の同僚、フランク・ライカールトが加わり、ミランでオランダトリオが形成されることになった。

攻守の要のとして、抜群の戦術眼を持つボランチのライカールト。パワフルなドリブル突破でチャンスを生み出す、攻撃的MFのフリット、そして抜群の得点能力でゴールを量産する、FWのファン バステン。この3人とリベロのフランコ・バレージを中心としたACミランは、9年ぶりにセリエAを制覇。翌年の欧州チャンピオンズ・カップにも出場する。

88年のチャンピオンズ・カップでは、9試合に出場して9得点の活躍。決勝ではフリットとともに2得点を挙げ、欧州のビッグタイトル獲得に大きく貢献した。

ファン バステン在籍中にミランはリーグ優勝4回、チャンピオンズ・カップも3回の優勝を達成。自身も2回のセリエA得点王と3回のバロンドールに輝き、クラブの黄金期を築いた功労者となった。

欧州選手権優勝の戦い

オランダのフル代表に初めて招集されたのは、83年の7月。85年にはメキシコWカップ欧州予選を戦うメンバーに選ばれるが、オランダがプレーオフでベルギーに敗れてしまったため、本大会への出場は叶わなかった。

アヤックスやミランでの輝かしい実績に比べ、代表では今ひとつ実力を出しきれずにいたファン バステン。だがついに、その真価を発揮する時がやってきた。88年、トータル・フットーボール生みの親のリヌス・ミケルス監督に率いられたオランダは、西ドイツで開催された欧州選手権に出場を果たした。

グループリーグの初戦となるソビエト戦。怪我で出遅れたファン バステンはベンチスタートとなり、試合も0-1で落としてしまった。そして第2戦のイングランド戦。今度は先発で出場すると、鬱憤を晴らすかのような大活躍、ハットトリックを決めてサッカーの母国を3-1と沈めた。

続く第3戦のアイルランドも1-0と退け、グループリーグを1位で突破。準決勝で開催国の西ドイツと戦うことになる。西ドイツは、74年のWカップ決勝、80年の欧州選手権で苦杯を舐めさせられた因縁の相手。是非ともオランダは、雪辱を果たしたいところだった。

しかし強力なタレントを揃えた西ドイツは、やはり簡単な相手ではなかった。54分、ロータ・マテウスにPKを決められ、先制を許してしまったオランダ、以降も反撃の糸口を掴めないでいた。だが73分、ファン バステンと競りあったユルゲン・コーラーのタックルがファールとなり、オランダがPKを得る。

このPKをロナルド・クーマンが決め、ついにオランダが追いついた。そして終了間際の88分、スルーパスに反応したファン バステンがコーラーより一足早くボールに追いつくと、右足のダイレクトシュートでゴール左下へ決勝点を決める。

伝説のボレーシュート

こうして宿敵を2-1の逆転勝利で下したオランダは、グルーリーグで敗れたソビエトと、再び決勝で対戦することになった。エースの復調を受け躍動するオランダ。32分のCKのチャンスに、ファン バステンが頭で折り返し、フリットの先制弾が生まれた。

さらに53分、アーノルド・ミューレンが左サイドからロングクロスを放つと、ボールはゴール前を大きく横切った。そこへ走り込んだファン バステンが、角度のないところから強烈なボレーシュート。名手リナト・ダザエフの頭上を破り、反対側のネットにボールが突き刺さる。サッカーの歴史に残る、ビューティフル・ゴールだった。

こうして2-0と知将ヴァレリー・ロバノフスキー監督率いるトータル・サッカーのソ連を打ち破り、オランダは欧州選手権初優勝を果たす。5得点を挙げたファン バステンは得点王、この年のバロンドールにも輝いている。

不本意なものに終わったWカップ

そして優勝候補の一角として臨んだ90年のイタリア・Wカップ、オランダは決勝T1回戦で再び西ドイツと相まみえた。この試合も激戦となったが、西ドイツに1-2と返り討ちに遇ってしまう。不調のファン バステンは無得点、唯一の出場となったWカップは、不本意なものに終わってしまった。

慢性的な右足首の故障を抱え、4度にわたる手術を受けたファン バステン。それでも足首痛は完治せず、95年に31歳の若さで引退を余儀なくされることになる。世界中のファンに惜しまれながらの最後となった。

04年にはオランダ代表監督に就任。06年のドイツ・Wカップでは、ロッベン、ファン ペルシー、スナイデルらの若手を積極的に起用し、チームをベスト16に導いている。

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