スポンサーリンク
スポンサーリンク

ワールドカップの歴史 第15回アメリカ大会-前編(1994年)

スポンサーリンク
スポンサーリンク

FIFAワールドカップ、第15回アメリカ大会-前編(1994年)

「サッカー不毛の地」

アヴェランジェ会長の世界戦略

第15回ワールドカップ開催地を決めるFIFA総会は、88年にチューリッヒで行なわれた。最終立候補国のアメリカ、ブラジル、モロッコの中から投票で選ばれたのは、「サッカー不毛の地」アメリカ。FIFA会長アヴェランジェの、サッカービジネス拡大戦略に沿った選定だった。

「不毛の地」と言ってもアメリカにサッカー文化がなかった訳ではなく、第1回のWカップから参加、3位に入賞するという歴史を持っている。また68年には北米サッカーリーグも発足、ペレクライフベッケンバウアージョージ・ベストといった晩年のスーパースターもプレー。一時は大人気を博していた。

だが他のメジャースポーツに押されて次第に人気は低迷、84年のリーグ解散以降は、大学スポーツなどで細々と行なわれているだけだった。当時全国リーグが存在しない国でのWカップ開催は異例で、そのため「サッカー不毛の地」と呼ばれたのである。

大会には148ヶ国がエントリー、世界各地で予選が行なわれた。プロ化を果たし初出場を目指した日本だが「ドーハの悲劇」によりあと一歩で届かなかった。またフランスも予選最終戦のロスタイムに失点、本戦出場を逃すという失態を演じている。他にもイングランドを始めとする英国4協会も全滅、辛うじて近接国のアイルランド共和国が2回目の出場を果たした。

南米のアルゼンチンはマラドーナの麻薬使用が発覚、セリエAから追放となる。大黒柱が不在となった代表は大苦戦で、コロンビアに0-5の大敗を喫すなど予選敗退の危機に陥いった。そこでやむなくアルゼンチンは、引退同然の境遇にあったマラドーナを代表復帰させる。そしてオーストラリアとのプレーオフを制し、ようやく本大会出場を決めた。

FIFAは守備的で消極的な試合の多かった前回大会を反省し、規定やルールを改定した。すなわち勝利の勝ち点を2から3に増やし、オフサイドの解釈も緩和、より攻撃を促す内容にしたのである。

第15回 ワールドカップ開催

第15回ワールドカップ・アメリカ大会は、94年6月17日にNFLシカゴ・ベアーズの本拠地、ソルジャー・フィールドで開幕した。開幕戦は前回大会の優勝後、東西統一を果たしたドイツとボリビアの試合。ベッケンバウアーの後任、ベルテ・フォクツ監督率いる新生ドイツチームには、東ドイツ出身のマティアス・ザマーも加わっていた。

ドイツはクリンスマンのゴールでボリビアを1-0と下すと、第2節スペイン戦では先制されるもまたもやクリンスマンの得点が生まれ、1-1と引き分けた。そして最終節で戦ったのは韓国。Wカップ初勝利を目指す韓国は第1節のスペイン戦で奮闘、試合終盤に洪 明甫ホン ミョンボのFKと徐正源ソジョンウォンのゴールで追いつき、2-2の引き分けに持ち込んだ。

ドイツはクリンスマンの2発とリードレの得点で前半3-0とリード、格下の韓国は早くも劣勢となった。だが前回の優勝メンバーが多く残り、平均年齢の高いドイツは後半暑さで足が止まってしまう。韓国は52分に黄善洪ファン ソンフォンのゴールで反撃を開始すると、63分には洪明甫の得点で1点差、王者ドイツを追い込んだ。

しかしその後韓国はチャンスを決めきれず、試合はドイツが3-2と勝利する。こうしてC組はドイツが1位。またもや勝利を挙げられなかった韓国は、1敗2分けの3位で大会を去って行った。スペインは最終節のボリビア戦、カミネロの2得点とグアルディオラのPKで3-1と勝利、2位通過を決めた。

開催国アメリカの健闘とコロンビアの悲劇

A組、開催国アメリカの初戦は、デトロイトのシルバードームにスイスを迎えて行なわれた。アメリカにはハークスやドゥーリーなど欧州でプレーしている選手もいたが、基本アマチュアのチーム、予選突破は難しいと思われていた。

だが前回体会で小国コスタリカをベスト16に導いた知将、ミルティノビッチ監督に鍛えられ、アメリカ代表は戦えるチームに育っていた。スイス戦は先制されるもFKで追いつき1-1、予想以上の善戦を見せた。第2節の相手はコロンビア。南米予選でアルゼンチンを5-0と破り、大会のダークホースにも挙げられている強敵だった。

司令塔バルデラマの操るリンコンアスプリージャ、バレンシアのアタッキング・トリオは強力で、アメリカは守りを固めて試合に臨んだ。だがオフサイドトラップを多用するコロンビア守備の綻びを狙い、35分にハークスがゴール前へクロス。DFエスコバルが懸命のブロックで足に当てるが、ボールは自陣ネットへ吸い込まれ、痛恨のオウンゴールとなってしまった。

さらに52分、アメリカはカウンターから2点目をゲット、終了直前に1点失うも、コロンビアに2-1と歴史的勝利を挙げる。最終節ではルーマニアに0-1と惜敗したが、1勝1敗1引き分けの3位でベスト16に進むことになった。

チームにはポニーテールの守護神、トニー・メオラや本業ミュージシャンの赤毛DF、アレクシー・ララスといった人気者も生まれ、大会は大いに盛り上がりを見せる。

グループ1位となったのは、2勝1敗のルーマニア。ルーマニアは初戦でコロンビアと対戦、左脚の名手ゲオルゲ・ハジのパスから、ラドチョウが俊足を飛ばして先制点を挙げた。更にハジがドライブシュートで追加弾を決めると、終盤にもハジのアシストからラドチョウが駄目押し点、コロンビアを3-1で下していた。

2位となったのはスイス。第2節のルーマニア戦でクヌップとシャプイサの2トップが大活躍、ルーマニアをハジの1得点に抑えて4-1の勝利を収めていた。最下位に沈み帰国したコロンビアだが、アメリカ戦でオウンゴールを記録したエスコバルが、サッカー賭博のシンジケートに射殺されるという悲劇が起きてしまう。

ブラジルエース、ロマーリオの活躍

B組ブラジルのエースは、気ままな性格のロマーリオ。このトラブルメーカーはパレイラ監督により一時代表から外されていたが、代表が得点不足に陥ってしまったため、南米予選の最終戦でチームに復帰していた。

ブラジルが第1節で対戦したのは、解体したソ連の後継国ロシア。この試合、ロマーリオが意表を突く左足アウトサイドのダイレクトシュートで先制、ロシアに2-0と快勝した。

第2節もロマーリオとベベトーらの得点で、カメルーンに3-0と圧勝する。最終節スウェーデン戦は先制されるも、ロマーリオに同点弾が生まれ1-1の引き分け、ブラジルが1位勝ち抜けを決めた。スウェーデンはエースのダーリンが3得点の活躍、1勝2分けで2位となった。

もう一つの最終節、ロシア対カメルーン戦はある意味歴史的な試合となった。6-1で終わったこのゲーム、ロシアの無名FWサレンコが1試合5得点の大会新記録をマーク。カメルーンの老雄ロジェ・ミラも、大会最年長記録となる42歳での得点を決めている。

マラドーナの追放

D組アルゼンチンは、バティストゥータのハットトリックで初出場のギリシャを4-0と粉砕する。スタミナを不安視されたマラドーナも60分にゴールを決め、テレビカメラに駆け寄り雄叫びを上げた。バティストゥータとカニーヒアの2トップ、そしてマラドーナ、シメオネレドンド、バルボらが揃うMF陣は盤石、優勝を狙う勢いを見せた。

第1節、もう一つの試合はブラックアフリカの新勢力ナイジェリアと、フランスを打ち破って本大会出場を果たしたブルガリアの試合。欧州で活躍する多くのタレントを擁したナイジェリアの攻撃陣は魅惑的、20分には右サイドを破ったフィニディの折り返しから、イエキニが左脚で合わせて先制、43分にはイエキニのクロスからアモカチが追加点を記録した。

54分にはフィニディ右サイドのクロスを、ファーに走り込んだアムニケがダイビングヘッドで叩き込み、ブルガリアを3-0と粉砕する。ナイジェリアは組織とはかけ離れた奔放でダイナミックな攻撃を披露、ポッカリ空いた中盤のスペースを、驚異的な運動能力でカバーしたのは19歳のボランチ、サンデー・オリセーだった。

第2節はアルゼンチンとナイジェリアの戦い。開始8分、アモカシのパスからシアシアがゴール、ナイジェリアが先制した。だが21分、マラドーナFKのこぼれ球を拾ったカニーヒアが同点弾、その7分後にもマラドーナのFKから再びカニーヒアが逆転弾を決めた。

難敵ナイジェリアを2-1と打ち破ったアルゼンチンだが、この試合後ドーピング検査を受けたマラドーナの尿から禁止薬物のエフェドリンが検出される。マラドーナは故意ではないと主張するが、5種類ものエフェドリンが見つかった事は致命的だった。アルゼンチンは代表からマラドーナを外し、残りの試合に臨むことになる。

士気の低下したアルゼンチンは最終節、ストイチコフに得点を決められ0-2と敗北した。そしてアルゼンチン、ナイジェリア、ブルガリアの3チームが勝ち点で並んだが、得失点差と直接対決の結果でナイジェリアが1位、ブルガリアが2位、アルゼンチンも3位ながら決勝T進出となった。

イタリアの苦境

E組、イタリアを率いるのは、ACミランで一時代を築いたアリゴ・サッキ監督。だが初戦はロイ・キーン擁するアイルランドに迫力負け、0-1と痛恨の敗戦を喫してしまう。第2節の対戦相手はノルウェー。開始20分、ノルウェーのシュートを、GKパリウカがPエリア外で手を使って止める反則、退場処分となってしまった。

イタリアはフィールドプレイヤーを一人下げ、控えのGKを投入せざるを得なくなるが、その時交替させられたのが、ロベルト・バッジオだった。運動量を必要とする展開に、足に故障を抱えたエースの交替は必然ながら苦渋の決断だった。

数的不利となったイタリア。さらに48分、キャプテンのバレージが膝を痛め退場する。DFの要も失い、イタリアは予選敗退の危機に追い込まれた。だが69分、シニョーリのFKをディノ・バッジオが頭で決め、イタリアに先制点が生まれる。ノルウェーの単調な攻めを凌いだイタリアは1-0と勝利、どうにか生き残ったのである。

最終節はメキシコと対戦、マッサーロのゴールで先制するが、追いつかれ1-1の引き分けとなる。この結果、E組は4チームが1勝1敗1分で並び、得失点差も一緒という大混戦となった。結局、総得点の多かったメキシコが1位となる。

メキシコは小柄だが敏捷なGK、ホルヘ・カンポスが自らでサインしたカラフルなユニフォームでパフォーマンス、観客の人気を集めていた。そして直接の対戦結果でアイルランドが2位、イタリアは3位となったが辛うじて予選を突破した。

オワイランの60mドリブルゴール

F組オランダは、エースのファン バステンを怪我で欠き、フリットも監督とソリが合わず代表を離脱していた。そのため攻撃力の低下が心配されたが、デニス・ベルカンプとブライアン・ロイら若手の穴を埋める働きで、予選リーグを2勝1敗と乗り切った。

ベルギーは守護神プロドームを中心とした好守で健闘、初戦のモロッコを1-0で下すと、第2節のオランダにも1-0と打ち勝った。そして最終節で戦ったのが、中東の雄サウジアラビアだった。サウジは固い守備からのカウンター攻撃を得意とするチーム、GKアルディアイエやMFアミンらの活躍でオランダとは1-2の接戦を演じ、モロッコにも1-0と勝利を収めていた。

開始5分、サウジのFWオワイランが自陣からゆっくりボールを動かし始めた。そして斜めにコースを取るとぐんぐん加速、ベルギーのDFを次々に置き去りにし、60mを駆け抜けあっという間にゴール前へ。右に持ち出した直後、鋭い切り返しからシュート、プロドームの頭上を破りゴールを決めた。

まさにマラドーナの5人抜きを思い起こさせる驚異的なゴール。サウジはこの1点を守り切り、ベルギーを1-0と下した。この結果3チームが勝ち点と得失点差で並ぶが、当該対戦成績でオランダが1位、サウジが2位となった。そして3位となったベルギーも、決勝Tに進む。

こうして予選リーグの全試合は終了、決勝Tの組み合わせは、ルーマニアーアルゼンチン、スウェーデンーサウジアラビア、オランダーアイルランド、アメリカーブラジル、ドイツーベルギー、ブルガリアーメキシコ、スイスースペイン、イタリアーナイジェリア、となった。

次:第15回アメリカ大会-後編(1994)

カテゴリー サッカー史

タイトルとURLをコピーしました